考え方

セッションで起こること

 

変化がいつ起きてもいい場を整える

ロルファーとして私がまず大切にしているのは、からだに変化がいつ起きてもいいような「場」をととのえることです。
技法を磨くなかで、私は触れる前の状態や、施術者の在り方を探ってきました。そして後になって、その探求が、上級ロルフィング講師ジェフリー・メイトランドの考えと驚くほど重なっていることに気づきました。
 

healingへの4つのかかわり方

メイトランドは、healingを促すかかわり方を4つに分けています。

  1. ①直接アプローチ:制限のある部位に直接力を加え、あらかじめ定めた方向へ変化を起こす。もっとも一般的な方法です。
  2. ②間接アプローチ:施術者が「変えよう」という意図をいったん止め、からだが自らほどけていく道筋を邪魔しない。
  3. ③組織化の力を利用するアプローチ:施術者が自分の思惑を降ろし、からだ全体に内在する、秩序づける力が現れるのを待つ。クラニオセイクラル・セラピーの流れがその例です。
  4. ④ゼロ・ディスタンスアプローチ:技法や意図には還元できない、healingの核心にある働きにもっとも近い在り方。施術者は触れずに、からだが自らを明らかにできる空間を差し出します。そこでは距離さえ制約になりません。

私は晩年のメイトランドのオフィスで、この触れないワークを体験しました。何かを加えるのではなく、施術者の在り方が透明になることで場が成り立っている。しかも身体構造の変化を伴う、他に類のないセッションでした。
その体験は、私が自分の実践のなかで探ってきたものと、深いところで響き合っていました。

The Art of Yield(イールド)

セッションを重ねるうちに私は、「どの技術を使うか」よりも、「どんな在り方でその場にいるか」のほうが、変化の質を大きく左右すると感じるようになりました。
この実践を、私は恩師のCarol Agneessensとともに探求し、「The Art of Yield」と呼んでいます。特定の技法ではなく、さまざまな技法がその上で働く土台、コンピューターでいえばOSのようなものです。
イールドで行うのは、何をするかを決める前の「調律」です。ロルファーは自分の思惑や期待、早すぎる解釈を脇に置きます。そして、防衛反応がもっとも起こりにくく、からだが生物学的に安全を感じられる位置関係を、クライアントとともに探します。それは二人の関係だけでなく、部屋の空間も含めた配置です。
この最初に行う「場のコンディショニング」は、方法こそ違っても、働きと方向においてメイトランドの④のゼロ・ディスタンスアプローチとほぼ同じことと私は考えています。
では、その場は具体的にどうやって整えるのか。その出発点は、とても素朴な問いです。
 

まず、どこに立つか

メイトランドは、セッションの問いとして「最初に何をするか」「次に何をするか」「いつ終わりと分かるか」を挙げました。私はその前に、もう一つの問いを加えたいと思います。
「私はまず、どこに立つか」
ロルファーが適切な位置に立つだけで、身体がすでに統合に向かう変化を見せ始めることがあります。その立ち位置を手がかりに、距離や向きを感じ取り、調整し続けていきます。
場が深まると、身体システムは何を必要としているかを、少しずつ示し始めます。
 

コンディショニングされた場から、なすべきことをする

場が整った後も、私は自分のプレゼンスと、場の静けさを保ち続けます。そのうえで、からだが求めていることに応じて、なすべきことをします。
それは、ただ待つことの場合もあれば、はっきりと手を入れることの場合もあります。組織に直接働きかけ、構造を大きく動かすことが、そのときのからだにとっていちばんふさわしい応答であることも少なくありません。メイトランドの1~3のアプローチも、そのときの必要に応じて、ためらわずに用います。イールドは、触れないことや何もしないことを目指すものではないのです。
ただし、その介入は「私が変えよう」とする意志から生まれるものではありません。自分の計らいを手放し、からだの内に働いている自然の叡智に知覚を開いているとき、なすべきことは、向こうからおのずと示されてきます。ロルファーとしての私はそれに従って動くだけです。
親鸞は、自らの計らいを捨てたときに、おのずからそうなるように働く力を「自然法爾(じねんほうに)」と呼びました。計らいを手放したところで、個人を超えた力が働き始める。介入もまた、そこから生まれるときに、もっとも無理なく、深く届くのだと私は考えています。
では、その力は何に向かって働くのでしょうか。
 

healingとは、ふたたび経過し始めること

からだの不調や固まったパターンは、秩序が失われた状態とは限りません。かつて生き延びるための戦略だったかもしれない形が、そこで止まり、更新されなくなっている状態とも見ることができます。
ですからセッションの役割は、パターンを外からむやみに壊すことではありません。からだが変化を許せるだけの安全を感じ、時間がふたたび流れ始める余地をつくること、つまり「経過する」のを支えることです。
経過を支えているのは、ロルファーの力ではありません。計らいや思惑を超えたところに働く、生命を生命たらしめている力そのものです。ロルファーにできるのは、その力が現れやすい場を整え、求められたときに応え、そこに立ち会うことです。
healingとは、正しくなるように仕向けることではありません。
統合とは、決まった正しさへと完成させることでもありません。
いのちが、いのちとして、ふたたび経過し始め、健やかな秩序がより顕在化していくこと。それがhealingだと私は考えています。